続き。
「母親と向き合う」だと、矢印が母親にも向いて、母親のリアクションも重要になるイメージがしますが、
たとえば、「母親問題と向き合う」とか、「母親に対する自分の感情と向き合う」だと、矢印が自分に向くなと感じます。
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実物の母に矢印が向かないようにするの大事なんやな。
母親と向き合う=母親と本音で話する、
だと数ヶ月前まで思ってました。
向き合う=互いの正面と正面とが相(あい)対する。
→お互い正面向かいあうということは、話すということか。
というイメージを持っていた気がします。
お互いの知らない本音を知るってなんか効きそうですし。
あえて、「母親を理解する」ではなく、
「母親と向き合う」と表現されていた理由は
何かあるのでしょうか。
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それがそもそも誤読なんだけど。笑
「母親と向き合う」という行為の中に「母親を理解する」も「母親と会話する」も含まれてるのね。
「料理」という行為の中に「煮る」「焼く」「切る」「レンジてチン」や、
もっというと「買い物する」「料理の機材を揃える」「ガスを契約する」「エプロンを買う」なども含まれるのと同じ。
「スポーツ」の中には、「野球」「スケート」「バレー」「バスケ」など色々含まれているので、
「スポーツ」=「バスケ」ではない。
バスケはスポーツだけど、スポーツはバスケ(だけ)じゃない。
これは、「抽象度」ってやつです。
スポーツは、バスケより、抽象度が高いです。なので、バスケはスポーツに含まれます。
都道府県みたいなものだね。。北海道は日本ですが、日本は北海道じゃない。
なぜなら、北海道より、日本の方が抽象度が高いから
抽象度が低いものは、抽象度の高いもの、含まれます。
動物の中に、犬も、猫も含まれるし、紅に染まるのです。
「母親と向き合う」という行為の中に、
母親を理解するも。
母親と会話するも含まれる。
図にするとめちゃくちゃわかりやすい!!w
なのになぜか、
「母親と向き合う」=「母親と会話する」
むしろ
母親と会話することが、向き合うことより、大きくなってしまう。笑。
違う、笑。こっち。
抽象度の話で、ついでに話すと。
ナリ心理学がここまで、母親との関係について話してるのは
母親と和解した方がいいから。
だからではなく。
「人生を楽しむために、母親問題を終わらせた方がいいから」
です。
これがわかってない人もめちゃくちゃ多いなって思う。笑。
ナリ心理学は別に、全国のお母さんの味方じゃない。笑、むしろ他人の母親なんて死のうがどうでもいい。香典もやらん。
ただ、「あなたが人生を楽しむためには母親問題を終わらせた方がいいよ」って思えってるだけだし、
「あなたが人生楽しめてない理由は母親問題だと思うよ」って話してるのね
(当然、ナリみたいに母親問題がない中二病もいますが、それは別の記事みて)
だから、強烈な母親問題があっても、人生楽しんでる人には何も言いません。笑。
ただ、ほとんどであったことがないだけです。笑。
で、こういう話すると、
「私、今も母親のこと大嫌いで幼少期すごく辛くて、絶対に許しませんけど、今楽しいですよ。」って
コメントつくことあるけど。笑。
「今楽しんでる人は、わざわざこんなアピールコメントしないよね笑。なんでわざわざ、直接聞かれてるわけでもないのにアピールしてくるのか、笑。
あ、そっか、、、もしかしたら、、、現実では誰も、、あなたの話を聞いてくれないのか、、、、あ、、あれ?。。。もしかして、、強がってるだけじゃない???笑」
ってすぐわかるけど。
それ本人に言ったら、絶対キレるから、言わない。笑。怖いもん。笑。
自尊心が高いんじゃなくて自己陶酔が強いんだよな。、、
自己陶酔が強くて、外向的で、攻撃性が高いと、本当に怖いから、笑。かかわらないのがまじで一番。笑。怖いもん。
この方とか絶対、自分のこと自尊心高いと思ってるよw
自尊心の高い自分は人のことをバカにしていいんだっていうね。笑。
「人生を楽しむ」ために
「母親と向き合う」のです。
「人生を楽しめてたら」
「もう母親と向き合う必要」はないです。
ただ、
人生楽しくない人で
母親と問題ありの人の割合が多すぎて、
やっぱ母親か! と思った人はナリ心理学公式LINEに登録しよー!!