母親と向き合うとは?
質問(・∀・)笑。
なぜか、
「母親と向き合う」
=母親と本音で話し合うこと
「母親と向き合う」
=母親と喋ること
と、だけ思い込んでる人が
多いんだけども。笑。
例えば一例↓
ナリ心理学は、
「母親と向き合う」
=「母親を理解すること」
※必要であれば、母親と会話すること。
と、ずっと書いてるんだけど、どんだけ書いても。笑。
「母親と向き合う」=「母親と会話すること」
と、思い込んでる人がめちゃくちゃいるんだけど。
これの理由ってなんだと思う(・∀・)?笑。
「母親と向き合うとは、母親と本音で会話して、お互いにわかり合うことだけです。」
なんて、言ったことないと思うんだけど(・∀・)笑。
なぜか、強烈に、「母親と会話しなければいけない」と思い込むんだが。
なんで、そう思い込んじゃうんだろ?笑
その上で
「母親に本音を伝えましたが、母親とは話になりません。」
的な、メッセージが常に来るんだけど(゚∀゚)笑
母親と向き合う=母親と本音で会話して、わかり合うこと。
的な、ニュアンスで理解しちゃってた人とか、過去そんなこと思ってたなーーって人とか、
こういう理由じゃない?ってあれば教えてほしいわ。笑。
※ちなみに、「ブログちゃんと読んでないからじゃん?」みたいなしょうもないコメントなしね(・∀・)笑。
あまりにも、誤解が多いから(・∀・)笑。
誤解する理由がなんなのか、おれのほうでまだわからない部分があるかもだから、
教えてちょんまげ。
一つ可能性あるのかなーってのは、
ナリ心理学以外の心系のブログだと、
ナリ心理学ほど「母親ゴミだよ」とか、「母親人間じゃねーよ」とか。
「子供に嫌われてる時点で、親は狂ってる」とか、過激な表現は存在しないと思うのね。笑。
そーなると、
「お母さんは、本当はあなたのことを愛してるんだよ。話し合えばきっと分かり合えるよ」
みたいな優しいことを言ってたりして、そっちのほうが聴き心地がいいから、
それを優先しちゃうのかな?とか。
たしかに、
母親と向き合う中で、母親と会話することは必要かもしれないけど、それだけすればいいわけじゃない。
って、散々書いてるのだけど。
母親と向き合う=母親と会話する。
ってのが、ナリ心理学以外だと主流なのかな?(・∀・)
でもそもそも、
子供とまともな会話できるような親なら、子供に嫌われてなくね?笑。
って、なるし(゚∀゚)笑。
「例え、子供とまともな会話できる親だとしても、結果子供の自尊心折ってる場合って、たぶんその親って、弱さ(病気や不運や不幸)を使って、罪悪感で子供を縛ってるタイプの親だと思うけど、
その親と、会話して、エセ謝罪されたところで意味なくね?」
とか、思ったんだけど。
↑
これ書いてて、気づいたけど、そもそも「母親と会話するだけじゃダメ」という考え方そのものが、
とても深い考え方だから、一般に広がりづらいのか。笑。
他の心系のブログでも、示唆されてないだろうなと思った(・∀・)笑。
そもそも、ここまで深く切り込むからこそ、ナリ心理学が人気なわけで。笑。
そう考えたら、誤解されるの普通なのかもなと、なんか思い始めてきた。笑
セルフ納得してきた。笑
そもそも、誤解されるくらい、今までの考え方と違うから、人気なのに。笑。
ナリ心理学が昔作った。
母親はただの中年女性
って、キラーワードはメチャクチャウケたしな(・∀・)笑
でもやっぱり気になる。笑
なんで、
母親と向き合うことは、
母親と会話し
母親と意思疎通し
母親と本音で話し合うことだと
そんなに、
頑固に思い込むの?笑
ねぇ?なんでなんで?