ナリ心理学ブログ2

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非ダイヤ人生を終わらせる流れ。

 
 
あ、これめっちゃいい記事書いたわ( ^∀^)笑。
非ダイヤの自覚ある人と、
目の前に問題がある人は
ぜひリブログかコメント・シェアしてね。
 
 
 
 
 
 
 
 
__
 
 
非ダイヤとは
なにかと言うと。
 
自分は生きていていいかを他人にお伺いしてる人のことです。
 
 
勝手に好きにいきてりゃいいのに。
 
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」
 
 
ってしてる。
 
ちなみにだけど。
これをそのまんま当て嵌めても非ダイヤさんには通じないと思います。
だって、自覚がないから。笑。
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」
 
 
 
 
 
これは原理の話で。
これを一般の生活でよくあるのに当て嵌めると。
 
「私は40代なのに独身だ、、、。。ああ、、なんで私だ、、」
 
みたいな感じで現れるね。
 
 
 
 
 
他にも
 
「うちの子供が、、不登校になっちゃった、、ああ、、私、、、、子育て、、間違えたのかな、、、ああ、、」
 
ってもそうね。
 
 
 
 
他にも
 
「離婚なんて、、、怖くて、、できない、、、どう思われるか、、、離婚したら、、、、幸せになれるのか、、ああ、、どうしよ、、あ、、、」
 
ってもそうだろうね。
 
 
 
 
 
表面的には
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」
 
これとは関係のないことに思えるけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
これらの言葉を深く辿っていくと。
 
「私は40代なのに独身だ、、、。。ああ、、なんで私だ、、」
 
「うちの子供が、、不登校になっちゃった、、ああ、、私、、、、子育て、、間違えたのかな、、、ああ、、」
 
「離婚なんて、、、怖くて、、できない、、、どう思われるか、、、離婚したら、、、、幸せになれるのか、、ああ、、どうしよ、、あ、、、」
 
最後には、
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」
ここにたどり着く。
 
 
 
 
 
日々、心の底でそう思ってる。
けど、本人には自覚がない。
 
「仕事楽しくないし、、やめたいけど、、他に、、やりたいこともないし、、やめて将来困ったらやだし、、ああ、、」
 
とかね。
 
 
 
 
本人たちは
 
仕事の問題
友達との問題
夫婦の問題
お金の問題
子育ての問題
 
だと思ってるけど。
 
 
 
 
全然違う。
 
 
 
仕事の問題
友達との問題
夫婦の問題
お金の問題
子育ての問題
 
を引き起こしてる
 
非ダイヤの問題
 
 
 
 
なんだけど。
これは、まー、ナリ心理学の見解で、一般的じゃないから。本人は理解できないのはべつに普通。
 
 
 
 
 
だから問題は。
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」
 
こういうふうに思ってしまった理由ですよね。
 
 
 
 
 
 
なぜ、こういう風に思ってしまったのか。
 
 
 
 
 
 
 
まー、簡単で、
 
「母親があなたが生まれたことを全然喜んでなかったから」
 
ですよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなわけない!!
子供が生まれたことを喜んでない親なんていない!!!
 
とかいうかもしれないけど。
 
まー、そりゃ生まれた瞬間は嬉しいだろうよ。笑。
 
病院では。笑。
助産院では喜んだろうね。
総合病院では喜んだろうけど。
 
すぐ忘れたんでしょ。笑。
 
 
 
 
 
 
子供が6歳になることには
「子供が生まれた喜びを忘れてた」んだろうね。
子供が8歳になることには
「子供が生まれた喜びを忘れてた」んだろうね。
 
子供が10歳になることには
「子供が生まれた喜びを忘れてた」んだろうね。
 
子供が12歳になることには
「子供が生まれた喜びを忘れてた」んだろうね。
これがすぐ忘れたってやつね。
 
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「日々の生活を問題なくこなすこと」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
これも、もっと日常生活にそった言い方すると。
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「夜、ちゃんと寝ること」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「人様に会ったときに、挨拶すること」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「テストでちゃんとした点数を取ること」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「部屋の掃除をすること」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「学校に我慢してでもちゃんと通うこと」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「習い事をやめないこと」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「スーパーで大声出さないこと」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「旦那の給料」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「将来の学資保険、貯金」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「子供の大学、どこの大学、ちゃんと卒業できるか」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
「子供が生まれた喜び」よりも、
 
「世間体」の方があなたの親にとっては
 
重要だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
でも親は「そんなわけない」っていうに決まってるよ爆笑爆笑爆笑爆笑笑。
 
でも、「子供がそう感じてた」ってことが何よりもの答えだしね。笑。
 
 
 
 
で、子供が
 
「そうか、うちの親は、私が生まれたこと、存在してることより、周りの人や、世間体や、、社会的にどうかってことの方が大事なのか。そうか、、じゃあ、私って生まれなくてよかったのか、、、存在しない方がいいのか、、」
 
って
 
薄々感じるけど。
 
 
これはナリが、ナリ心理学を何年もやって、言語化できたことであって。本人は自覚がない。笑。
 
さっきも言ったけど。
 
 
 
 
本人は、
 
「私は40代なのに独身だ、、、。。ああ、、なんで私だ、、」
 
「うちの子供が、、不登校になっちゃった、、ああ、、私、、、、子育て、、間違えたのかな、、、ああ、、」
 
「離婚なんて、、、怖くて、、できない、、、どう思われるか、、、離婚したら、、、、幸せになれるのか、、ああ、、どうしよ、、あ、、、」
 
仕事の問題
友達との問題
夫婦の問題
お金の問題
子育ての問題
恋愛の問題
 
こっちをばかりを思ってる。
 
だって、本人たちとして、それが目の前の問題だからね。
 
 
 
 
 
 
 
だけど。
向き合うべきは。
 
「母親があなたが生まれたことを全然喜んでなかったから」
 
ここなんだけどね。
 
 
 
 
 
 
 
 
まとめると
 
 
 
 
 
 
3、目の前の問題
「私は40代なのに独身だ、、、。。ああ、、なんで私だ、、」
「うちの子供が、、不登校になっちゃった、、ああ、、私、、、、子育て、、間違えたのかな、、、ああ、、」
「離婚なんて、、、怖くて、、できない、、、どう思われるか、、、離婚したら、、、、幸せになれるのか、、ああ、、どうしよ、、あ、、、」
仕事の問題
友達との問題
夫婦の問題
お金の問題
子育ての問題
恋愛の問題
 
 
2、ほんとに感じてること
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」

 

 
1、そう思い始めた理由
 
「母親があなたが生まれたことを全然喜んでなかったから」
 
 
でこの先に
 
0、母親と向き合う、母親を理解する
 
ってのが待ってるわけだ。
(ここは今日かかない。過去の記事に死ぬほど書いてあるから)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世間一般的にはずっとこっち側の話しかしない。笑。それが普通。笑。
「私は40代なのに独身だ、、、。。ああ、、なんで私だ、、」
 
「うちの子供が、、不登校になっちゃった、、ああ、、私、、、、子育て、、間違えたのかな、、、ああ、、」
 
「離婚なんて、、、怖くて、、できない、、、どう思われるか、、、離婚したら、、、、幸せになれるのか、、ああ、、どうしよ、、あ、、、」
 
仕事の問題
友達との問題
夫婦の問題
お金の問題
子育ての問題
恋愛の問題
 
 
 
母親と向き合って、
 
 
こういうお伺い思考を
 
「私は〇〇ができたら、生きててもいいですか?」
「私は□□を持ってたら、ここにいてもいいですか?」
「私は▲▲をしてるので、存在しても大丈夫ですよね?」
 
周りの人や、
社会に対してしなくなったら
 
 
 
 
 
 
 
非ダイヤ的な人生が終わります。