絶望には魅力がある。
絶望にはある種の魅力がある。
《絶望という魅力》
「死にたい」は
「生きたい」より、かっこいい。
「生きたい」は、バカっぽい。
「ポジティブ」は、バカっぽい。
死にたいほど考えてる私。。
かっこいい。
悦に浸れる。
人より考えてる自分、
かっこいい。
死にたいと言っていると
周りの人は離れていく。
でも、
理解されない自分も
かっこいい。
凡人には理解されない
私はかっこいい。
桜は儚いほどに美しい。
人生も儚いからこそ美しい。
短命は
長寿より魅力的だ。、
絶望にはある種の魅力がある。
ただ、、私は、絶望に魅力を感じてることは絶対に認めない。
認めないからこそ
かっこいいのだ。
悲劇のヒロインは
無自覚だからこそ尊いのだ。
私は
普通の人とは違い。
深い洞察と
思考があるので、
絶望できる。
絶望することで、
他の普通のやつらとの違いを
見せつけることができる。
絶望をやめてしまったら、
私はただの普通の
そこらへんにいる
普通のやつになってしまう。
そんなのは許せない。
私が普通だなんて、認めたくない。
私は特別だ。
他の奴らとは違う。
苦悩し、絶望できる特別な存在だ。
馬鹿みたいに脳天気に、なにも考えずに、人生楽しんでるやつらと一緒にされたくない。
私は特別だ。
私は儚い。
だからこそ特別だ。
だから、
私は絶望する。
私は命をかけて、絶望する。
ただ、
今日の話は、
誰にもバラす気はない。
絶望することで
私は生きがいを得ている。
______
とか言うナリも、
絶望という魅力にやられてた一人でした。
絶望できる自分は
かっこいいと思ってたし
考えられるからこそ
絶望できるのだと、
悦に浸っていました。
ナリ心理学ではこれをドラマチック症候群といいます。
ドラマチックに生きることも求め。
わざと自分に大きな課題を与える。
それを
乗り越えることで、
生きてる実感を得ようと
してしまう。
たしかに
絶望には、妙な魅力がある。
ただ、
自分が絶望する
必要はない。
絶望してる自分になって、
自分は特別だと証明しようと
しなくていい。
そんなことしなくても
あなたは特別だ。
だから、
普通の幸せを受け入れてほしい。
(終わり)
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