ナリ心理学ブログ2

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能力とダイヤモンドは関係ない。

ナリ君、こんにちは。
いつも為になる記事をありがとうございます😆母親の記事に背中を押され向き合ってみたのですが、質問があります。

昨日までに色んな感情を出していって、自分の中で母はダイアモンド=私もダイヤモンド(ダイヤモンド)とやっとなりました。

そして、自分の中だけで終わってしまえば自己満足になり、ぶり返すと思ったので、簡単に仕組みも交えて、私たちはダイヤモンドだと母に伝えました。

けれど、母も自分の母の事をスゴイと言いながら、そう思えていない感じでした。それを見て私はダサいと思い、振り出しに戻った気がしました。

なので質問は

母が自分の母をダイヤモンドと思えてなければ、私もダイヤモンドでは無くなるのでしょうか。

それとも、向き合い切れてないのでしょうか。

母に自分の思いを伝えたのは自分の為でもありますが、母にも幸せになって欲しかったのもあります。それが傲慢だったのでしょうか。(上から目線やったかもしれません。)

頭の中を整理しながら書いたので、長文になってしまいすみません。返信頂けると嬉しいです。

娘さんの記事も去年の自分の娘と重なり、懐かしい気持ちになりながら見てます😊

 
 
 
 

 
 
 
 
 
それは、
 
 
 
「存在そのもの」
「その人の人間力がごっちゃになってるね(・∀・)
 
 
 
 
 
 
ダイヤモンドってのは、
存在そのものを指す、名称なんだよね(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
例えば、
 
赤ちゃんって、人間として何もできません。笑。だけど、ダイヤモンドです。 
 
これは、存在をさしてるからですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ、人間は、
歳をとるほどに「何かができて当たり前だ」と思うようになるよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
実際、脳みそも体も大きくなるから、いろんなことができるようになります。
 
 
 
 
 
 
そうすると、
 
20歳なんだから〇〇ができて当たり前とか。
30歳なんだから〇〇ができて当たり前とか。
40歳なんだから〇〇ができて当たり前とか。
結婚してるんだから〇〇ができて当たり前とか。
親なんだから〇〇ができて当たり前とか。
 
無限に「〇〇して当たり前」というのが生まれます。
 
 
 
 
 
 
 
今僕がこの記事を書いてるカフェラウンジでは、目の前で3歳くらいの男の子が暴れてますが、
 
それは子供だから許せれるわけで。
 
 
 
 
 
 
50歳の女性が暴れたたら、「なんか変だよな」と思うわけです。
 
 
 
 
 
そして数秒後に「ああ、認知症か、そのような障害や病気だな」と思います。
 
 
 
 
 
基本的に「50歳の女性はカフェで暴れないのが当たり前」と世の中の人は思ってます。
 
 
 
 
 
そんな感じで、
 
世の中にはたくさんの「〇〇ができて当たり前」が存在します。これに関してはもう圧倒的事実なので今更それについて批判してもなーーーって感じです。
 
長い人類史の中で作られてきたことだし、別に社会ってそういうところあるしな。笑。当然、男尊女卑や、〇〇差別とかあるなら、それは解決したほうがいいけど。今日はそういう話じゃない。笑。
 
「50歳の女性はカフェで暴れたっていいだろ!!!」っていう人はほぼいないだろうな。笑。
 
 
 
 
 
 
 
ほんで、この「〇〇ができて当たり前」を超えれてない人もいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それが、
 
あなたの母親です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたの母親は、
 
これはしっかり聞いて見ないとわからないのですが、人間としての能力が低いのだと思います。
 
 
 
 
 
 
だけど、それとダイヤモンドは全く関係ないのです。ダイヤモンドは存在の話であって、その人の能力は全く関係ないです。
 
 
 
 
 
 
 
あたなの母親が人間的な能力が低かろうと、あなたたの母親はダイヤモンドです。
 
ただ、ダイヤモンドだからって、人間的な能力は普通ってってことじゃありません。
 
 
 
 
 
 
 
「人間的能力ってなんやねん!!」って言いたくなる、中学生みたいな人もいるだろうから、説明すると。
 
パスカルは「人間とは考える葦である」と言ったので、、人間的能力とは「考えること」でしょうね。
 
なので考えることが苦手な人を、今回は、人間的な能力が低いとしましょう。。
 
クレームはパスカルにお願いします。言ったのオレじゃないし。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたの母親は、人間的な能力の低いダイヤモンドです。
 
 
 
 
 
 
 
 
母親が。
なぜ。人間的な能力が低くなったのかはわかりません。たくさんの理由が重なり合ってそうなったのでしょう。
 
母親も
幼少期から英才教育をされ、物事を考えるトレーニングをしていたら、そうはならなかったかもしれないし、それをしていても、知能がもともと低い可能性もありますし
 
そもそも
幼少期にそういう教育をしてもらえなかったのは本人のせいじゃないし、そもそも祖母も娘(あなたの母親)に嫌われるような人なのだとしたら、
 
祖母も、
人間的な能力が低かったのかもしれません。
 
理由は、行くつも重なってるので僕にはわかりませんが
 
 
一つ言えるのは、
 
母親だって、能力の低い人間になりたくてなったわけじゃないだろうなってことです。
 
 
 
 
 
 
そして、
能力の低さと、ダイヤモンドは全く関係ありません。
 
 
 
 
 
 
ナリ心理学が提唱してる
ダイヤモンドってのは
 
 
「能力が低くても生きてていいよ」
 
 
っていう意味です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたの母親には自分の母親(祖母)を理解することができないのでしょう。
 
ただ、理解できない母親(あなたの母親)をあなたが理解してあげて欲しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたの母親には自分の母親(祖母)を理解するだけの考える力がないのです。
 
 
 
 
 
でも、ダイヤモンドです。
 
 
 
 
 
 
そして、
こっからが大事。
 
 
 
母親のことを
 
「人間的な能力の低いダイヤモンドです」
 
と認められた時に。
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたはは
自分の中の「能力の低いところ」と認められるようになります。
 
 
 
 
 
 
私には
能力の低いところがある。けれど、ダイヤモンドだと。
 
 
 
 
 
 
自分の能力の低さを認められない人が、
社会に出てから、頑張らなくていいことを頑張ります。
 
 
そして
 
頑張ってるのにうまくイカいないとか。
もう、疲れた。
とりあえず、すべてやめたい。
 
と定番フレーズを話してくれます。
 
 
 
「自分の能力の低さ認めてないんだなーーー」とすぐわかります。
 
 
認めちゃえば楽なのにって思うし、楽以上に、認めちゃえばいろんなことがうまく行くのにっていつも思います。笑。
 
 
 
 
 
 
 
ダイヤモンド理論をうまく理解できない人の特徴に「ダイヤモンドな人はすごい人」「ダイヤモンドはちゃんとしてる」だと誤解してることがあります。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実際、この方も「母親はダイヤモンドだから、母親は、自分の母親(祖母)のことを理解できるはずだ」と誤解してます。
 
できるわけないんですよ。笑。だってそもそも論ですけど、、自分の母(祖母)を理解できるような人だったら、
 
自分の娘が母親との関係に悩むような子供に育ってないでしょ。笑。
 
 
 
 
 
 
 
実際、ナリは母親に1ミリも不満がないし、母親も祖母に1ミリも不満がないように見えます。笑。
 
そして、うちの母親は子供が3人中2人家を建て、1人は東京で優雅に暮らし、孫が5人もいて、幸せそうです。笑。
 
ま、ただラッキーだっただけですが。
 
 
 
 
 
 
 
 
存在能力は別です。
 
 
 
 
 
 
 
ダイヤモンドは存在の話です。
能力は関係ないです。
 
 
ダイヤモンドだからって能力が高いわけではありません。
 
ダイヤモンドだからって普通のことができるとは限りません。
 
でもダイヤモンドなんです。
 
 
存在していていい。
生きていていい。
ここにいていい。
楽しんでいい。
笑っていていい。
素直でいい。
そのままでいい。
愛されていい。
 
 
 
 
 
 
ナリ心理学のブログ読んでて、
 
あまりにも、頭悪い人に「頭悪いね」とか、「考えられないんだね」とか言っってて。
 
何様じゃボケって思う人もいると思うけど。笑。
 
 
頭悪いことも
考えられないことも
 
事実なんだから認めちゃった方が楽じゃん。
 
別に、
 
頭悪いことも
考えられないことも
ダイヤモンドとなんの関係もないんだから
 
別にいいじゃん
って思うんです。笑。
 
 
 
 
 
存在能力は別だよ。
 
 
 
世の中には
能力の低いダイヤモンドがめちゃくちゃいると思うけど。
能力の低さを認めちゃえば
人生めっちゃうまく行くと
思うんだよな。
 
まじで。
 
 
 
 
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