ナリ心理学ブログ2

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今日も考えている

 
 
ナリくん、 いつもためになる記事をありがとうございます。 先日ナリくんは、 心のお仕事はお金儲けが目的でやっているようなことを書いてたでしょう? 
 
言葉を明確に覚えてなくて、ごめんなさい。 
 
私、ずっとカウンセリングがとても高いことが疑問だったんです。 
 
本当に本当にカウンセリングが必要な人は、お金を持っていない人が多いと思います。 
 
自殺を防ぎたい、苦しんでる人を助けたい...でも、その金額だとそんな人は救いを求められないんじゃ...。 人気の人も高いし、スピリチュアル系もとても高い。 
 
カウンセラーも生きていくのにお金が必要なのはわかるけど。
 
心の世界も容赦なく格差社会そのもので、そんな理由から格差は広がっていく一方に思えます。
 
そんな風に思っていたけど、 ナリくんが書いていた言葉で、やはり心の世界もドライなんだなって思いました。 
 
この考えが合ってるとしたら、ナリくんはどうすれば本当に救いを求めてる人がカウンセリングを受けられるようになると思いますか?
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この世界には
偶然に悲劇が起きるんだけど。
 
その悲劇で「被害者」が生まれてしまうことがある。
 
 
 
 
 
例えば
家族3人で山道をドライブしてたら
道路が凍ってて、
スリップして、
 
両親が亡くなってしまった。
 
 
 
みたいなことがあったときに
これって加害者は誰もいないのに、被害者だけいるんだよな。
 
その日、気温が低かったことも
道路が凍ってたことも
車がスリップしたことも
 
全て偶然でしかない。
 
 
 
 
 
 
 
ただ、子供は「両親に愛してもらう」と言う経験をせずに大人になってしまうかもしれない。
 
 
 
 
 
 
この子が愛された経験がなく育ったとして。
 
 
 
 
 
 
この子が愛を感じるために
周りの人が動いたほうがいいことは確かだけど。
 
この子に愛を与えるために
周りの人は「どれくらい動くべきか」って言われたら。
 
当たり前だけど。
周りの人に「動かなければいけない義務はない」
 
 
 
この子は「誰も私のことを愛してくれない、私は必要のない人間なんだ」と感じたとする。
 
いや、両親は愛してたけど。偶然、山道が凍ってただけで愛することができなかっただけだ。
 
 
 
 
 
 
 
山道が凍ってたことは、
誰のせいなのだろうか。
 
 
 
 
 
 
周りの人は別にこの人をいじめたい気持ちも、攻撃したい気持ちもない。
 
 
 
 
ただ、周りの人は自分の人生に夢中だ。
 
 
 
 
たまに
この子に優しさを向けることはできるだろうが、
 
絶対に、
この子が愛を実感するまで最後まで周りの人が愛を与えられるかはわからない。
 
「誰も私のことを愛してくれない、私は必要のない人間なんだ」
 
とその子が思っても
 
 
 
周りの人は
 
「いや、そんなことはない」と思うが
 
その子が
愛を実感するまでその子につきっきりでいられるかと言えば、
そんな責任は誰にもない。
 
 
 
厳しいですね。
寂しいですね。
最悪ですね
かわいそうですね。
性格悪いですね。
最低ですね。
鬼ですね。
 
ってその子に言われたら、、
 
えーー、そんなー、、っってなる。
 
 
 
 
「なんで私だけ、両親がいないんですか?」と言われたら
 
偶然事故ったから、、、、
 
としか答えられない。
 
 
 
世の中のほとんどの人が無関心だと思うが、その無関心を咎めることはできないよな。みんな自分の人生を生きてるだけだし。
 
偶然の悲しみを背負った人に対して、偶然の悲しみを背負わなかったものは、どこまで責任を感じたらいいのだろうか。
 

 

人はみんな幸せになる権利があるとは思うが。

 

偶然の悲しみに出会った人に対して、どこまでの義務があるのだろうか。

 

いや、義務というか。

責任というか、

 

どこまで何を感じ

どうしたらいいのだろうか。

 

答えのない問いなので、答えを求めてるわけではないが。

 

 

 

 

 

 

「目の前の人を助けよう」それはわかる。

 

 

 

 

 

じゃ、目の前の目の前の人を助けよう。

 

うん。

 

目の前の目の前の目の前の人を助けよう。

目の前の目の前の目の前の目の前の人を助けよう。

目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の人を助けよう。

目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の目の前の人を助けよう。

 

僕らが自分のために生きていいのは

 

世界中の人がみんな救われてからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界は

偶然悲しみが起きる。

 

その偶然の悲しみに対して

人々はどれくらいの関心を持つべきなのか。

 

 

もった方がいいのか。

 
自分が幸せになる権利はどれほど行使していいのか。
人を救わない限り、自分は幸せになっていはいけないのか。
 
 
 
答えの出ない問いだ。
 
 
 
全く、偶然の悲しみに捕まってしまった人に関心もなく考えることもなく、自分の人生を楽しむことを行使してる人はめちゃくちゃいる。
 
それを
 
厳しいですね。
寂しいですね。
最悪ですね
かわいそうですね。
性格悪いですね。
最低ですね。
鬼ですね。
 
と、罵ることはできる。それは簡単だし、罵りたくなる気持ちもわかる。
 
 
 
 
 
つい最近
 
長野県松本市で悪徳ブリーダーが動物虐待で捕まった。
ペット業界の闇。
そりゃ、たくさんの犬に、たくさん子供産ませて、飼育代を安く済ませりゃ、一番利益が出るわ。
 
うちのワーチチは繁殖引退犬なので、劣悪な環境だったかどうかは知らないが。ペットショップのために、生きさせられた犬である。
 
日本中の至る所にペットショップがある。
ペットショップは当たり前だけど。買ってくれる人がいるから成り立ってる。
 
じゃ、ペットショップで犬を飼うな。
 
これが答えだろうか。いうのは簡単だし、確かに繁殖させても儲からないとわかれば犯罪は起きにくくはなるだろう。
 
当たり前だけど。ちゃんとやってるペットショップがほとんどだろう。ペットショップで出会った犬としあわせに暮らしてる人がほとんどだろう。
 
 
 
 
 
 
 
日本の飲食店では、牛の生レバーが食べられない。
 
なぜか?????
 
生レバーを食べて死者が出た事件があるからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
答えの出ない問いは本当にたくさんあるなと日頃思う。
 
おれが死ぬまで答えは出ないんだろうな。
 
無視するのが一番の方法であることは変わりない。それで本人が納得なのであればそれが一番いい。
 
 
 
 
 
 

この世界は

偶然悲しみが起きる。

 

 

加害者のいない出来事の、被害者がたくさんいる。

(ペットショップと北朝鮮のやつは加害者いるけど)
 
 
 
 

加害者のいない出来事の、被害者に対して

 

周りの人はどこまでの責任があるのか。

 

 

 

 

 

本人(周りの人)が幸せに生きる権利を行使するのは罪なのか。

 

 

 

 

 

 

 

今日も

答えの出ない問いを

考えている。

 

 
 
 
 
 
 
 
(うちの親父は65年間1秒たりともこんなことを考えたことはないだろうな。笑。幸せそうだし。笑。)
 
 
 
 
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