■目の前の現実はすべて自分だという。
結局、
自分を
バカにできるのは、
自分だけよな。
あの人にバカにされたって、
あいつにバカにされたって、
あのやろうにバカにされたって、
旦那にバカにされたって
職場のやつにバカにされたって
友達にバカにされたって
知らない人にバカにされたって
結局は、
自分で自分をバカにしてないと、
それって受け取れない。
痩せてる人に
デーーブって言っても、
『、、、んσ(^_^;)?』ってなるし、
170センチのナリに、
チーービって言っても
『、、、(゚∀゚)ほ?』ってなる。
的外れすぎて、
受け取れない。
例えば仮に、
渋谷の交差点とかで、
「お母さーーん!!」って呼んだとすると、
お母さんは振り向く。
僕は振り向かない。
実はおれはお母さんじゃないから(*゚∀゚*)笑。
「お父さーーん」でも同じ
お父さんだけ振り向く。
僕は振り向かない。
だってお父さんじゃないから。
さて、どーやったら僕は振り向くのか?、、いや!そーゆーゲームではないσ(^_^;)笑。
自分が当てはまるかもしれないものだけ「自分は反応してる」
ということは、
「反応してるもの」すべては、自分に当てはまるかもしれないことだ。
「反応してるもの」ってのは、
「目の前の現実すべて」のことだ。
ということは、
「目の前の現実はすべて自分だ」
ということになる。
うっわ(●´ω`●)
そうかなるほど、一人で納得した。笑。
・目の前の現実全てが自分
・自分が反応してることが現実
・反応してない現実は見れない
・だから
・見えている全てが自分
↑
うわ。なんか、哲学みたい。(*゚∀゚*)
笑。
ナリーチェと呼んでくれ
(ナリ+ニーチェ)
そんで、
ここまでを大大大前提として。
↓
他人に自分を
バカにすることは
できない。
「あの人にバカにされた!」
と思ったとき。
それは、
自分が自分をバカにしてたのを、
あの人が思い出させてくれただけなんだよね。
目の前の人に
された「それ」は
実は
自分がもう自分に「してた」ことで、
その人が「再認識」させてくれただけなんよなー。
ということは、
自分が自分にしてることが、
人が
自分にしてくれることで。
世界が
自分にしてくれることだ。
つーことは、
世界が
自分にしてほしいことを
自分が
自分にしてあげれば、
世界はそれを
自分にしてくれるし、
人はそれを
あなたにしてくれる。
ってことだ。わお。すげ、なにこれ、なんなの?この哲学みたいなやつ(●´ω`●)
すげー
ことだから、もう一回言おう。
世界が
自分にしてほしいことを
自分が
自分にしてあげれば、
世界はそれを
自分にしてくれるし、
人はそれを
あなたにしてくれる。
うっわ!すっげ!破壊力。(*゚∀゚*)笑。
もっかい言っていい??
世界が
自分にしてほしいことを
自分が
自分にしてあげれば、
世界はそれを
自分にしてくれるし、
人はそれを
あなたにしてくれる。
ぎゃいーーーん。
痺れる:(;゙゚'ω゚'):
自分と仲良くなると
世界と仲良くなるなのか。
ナリ、独演会のチケット発売してます♪♪
http://03auto.biz/clk/archives/iijykn.html
※読んでくれた方はfacebookにシェアしてくれると嬉しいです。
※下に月別アーカイブ作ったのでどうぞ!