ナリ心理学ブログ2

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「幸せになる」ことへの疑問

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
幸せは「なるもの」じゃなくて、「やるもの」だから。
 
幸せに「なる」じゃなくて、幸せを「やる」んだよな。
 
 
 
 
 
 
 
幸せは「なるもの」だと、
幸せに「なるのを待とう」とか
「いつか」幸せになれるとか。
 
待ちが正当化されるちゃうんだよな。
 
この問題が過ぎれば幸せになれるとか。
子供が成人したら幸せをになれるとか。
結婚したら幸せになるとか。
 
「なる」
「なれる」
 
って、自分以外の「何か」がきっと自分をそうしてくれる
 
って、無自覚的に思えちゃうんだな。
 
 
 
 
 
 
世の中は、就職しろ就職しろって同調圧力あるから、
 
就職したら、どうにか「なる」のかと思えばそんなことも別になく(・∀・)笑。
 
自然と「なる」ってのは、まぁ、偶然的にあるかもしれないけど。笑。
 
それに期待してたら人生って、誰のものやねんってなるしな。
 
 
 
 
 
 
会話上、楽だから、幸せになるって言葉遣いすることあるけど。
 
本質的には、幸せは「やるもの」もしくは「するもの」なんだよな。
 
 
 
 
自分にとって「これには幸せを感じる」ってことをやる。
 
 
 
それが何かは
一人一人違うから
紹介できないけど、
 
 
 
例えばおれなら、
 
音楽聴いて
ご飯食べて
この世界について考えたり
映画観たり
旅行したり
 
それを物理的にやる。それが幸せ。
 
 
 
 
 
物理的に、幸せなやるもの。
 
なるものじゃない。
やるもの。
するもの。
 
幸せになろうから、
幸せをやろうよな。
 
 
 
 
 
 
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