ナリ心理学ブログ2

セカンドブログです!!!メインはAmeba!

自分を否定するメリット

 

 

 

 

 

 

 

 

ナリさん、私は自分が非ダイヤモンドであることを自覚しています。ダイヤモンドになるために私は変わらなければいけない、今の非ダイヤモンドのままじゃダメだ、という焦りのような気持ちに駆られています。このままノートとペンをしていても「自分は今のままではいけなくて変わらないといけない」という気持ちが、前提であるため辛いです。このような場合、どのように進めていけばいいですか

 

 

 

 

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あ、まず病院がいいよ。真面目に。

 

多分、この感じうつ病にこれからなると予想できるから、

 

うつは脳の問題であなた悪くないから、早めに病院いったほうがいいいよ。

 

 

 

 

もしかしたら

もうすでに過去にそうなってるのかもしれないけど。

 

今、完全に黄色信号出てる感じだね。

 

 

母親の話出てきてないけど、きっと親子関係すげー問題あると思うけど、その前にまずは休んだ方がいいよ、。

 

あなたはマジで1ミリも悪くないし、あなたは何も悪いことしてないから。

 

マジで休みまくった方がいい。

あなたはマジで何も悪くない。

天才のナリが言ってるから信じていい。

あなたは何も悪くないよ。

 

あなたには何の責任もないし、

あなたは何かを過去の借金を返す必要もないよ。

 

あなたは

何も悪くないです。

 

まずは、ゆっくり休んだ方がいいし、

 

これも天才のナリを信じて欲しいけど。

今休むのが結局最短だよ。

 

一番早い方法が休むことだから。

休むってのは、

「遅くなるよ」って意味じゃなくて

 

「早くなるよ」って意味。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント取り上げていただいた者です!

非ダイヤモンドな私は、子どもに怪我させたり、泣かせてしまったという事実で自分を責めます。私のせいで怪我をさせてしまった、泣かせてしまった…と思います。

そして、私の母親や祖母は「子どもを泣かせてはいけない。泣かせるなんて可哀想」という圧力をめっちゃかけてきます。笑


実際、子どもが転んでテーブルに顎をぶつけて泣いたとき、祖母に「そんな近くに母親のお前が居たのに、なんで防げなかったんだ」と言われました。
私的には井上尚弥選手ですら防げなかったんじゃねーかと思うくらい、転んだのと顎をぶつけたのがほぼ同時で、防ぐのは不可能だったと思うんですが、転んで泣かせたことをグチグチと祖母に言われました。(さすが非ダイヤモンドの実家。笑)

怪我をさせたのは自分の不注意だ、自分が危険を防げなかったから子どもに怪我をさせてしまった。怪我をさせてしまってこの子に辛い思いをさせて申し訳ない…。

あと、子どもが触りたいのに、触らせなくて泣かせた場合は、子どもの触りたい欲求を満たしてあげられなくて申し訳ない…、とかって思います。

でも、これただ自分責めをしたいから、自分責めをするための材料集めをしているみたいなもんなのかもしれないですね。笑

 

 

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とにもかくにも、どうにかして自分の存在を否定したいやね。笑。

 

 

 

 

 

 

 

自分を否定することのメリットってさ。

 

 

 

 

 

自分を否定しておくとさ

「何もしなくていいんだよな」
 

何もしないことのメリットって

「何も起きないこと」なんよ。

 

何も起きないことのメリットて、

「何も私のせいにはならないこと」だよ。

 

私のせいにならないことのメリットって

「私はもう人から責められない」だね。

 

 

 

そう。

 

 

つまり、

 

先に自分を責めておくことで

人から責められないようになる

 

ってことだ。

 

 

 

 

これがメリット

 

 

 

 

例えばだけど。

 

ナリみたいに自分のことを責めない人は、

どんどん自分で決めてやりたいことをやります。

 

 

 

何かを決めると

その責任って、決めた人に100%あります。

 

 

 

もしその

自分で決めてやってることで失敗や、ミスや間違いがあったら、

 

当たり前だけど、決めた人が全ての責任を思う。

 

それに関わってる人から

「お前が間違えた、お前のせいだ」って言われるか、そう思われるし、それは正しいとおれも思う。

 

だって、決めた人が悪いから。

 

 

 

 

この「お前が間違えた、お前のせいだ」

ってのを他人から言われる思われるのが嫌な人は

 

自分では何も決めなくなる。

 

 

 

 

 

 

自分で決めないのが一番、安心できるからだ。

 

 

 

 

 

自分で決めないで済むために、

自分で自分を責めて「自己評価を鬼ほど下げておけば」もしくは「悩んでるふりして時間を費やしていれば」何も決めないですむ。

 

 

 

「お前が間違えた、お前のせいだ」

 

って言われないで済む。

 

 

 

自分で

自分を責めておけば

 

所詮は自分が自分を責めてるだけだから。

 

殴られることも

責任とれ!ってお金をむしり取られることも

物理的に怖いことも起きない。

 

 

自分で自分を責めるという、苦しみだけ。

 

でもこの苦しみは

別に我慢してればいい。

 

自分で何かを決めて挑戦して失敗して周りの人に何か言われるより

はるかにいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもここまで意識してる人は少ない。

 

 

 

 

ほとんどの人が

無自覚。笑。

 

 

 

無自覚で「自分で自分を責めちゃうんです。自分責めるのやめたいですー」って思う。

 

 

 

 

でも自分で自分を責めるのをやめてしまったら、

どんどん自分の人生を自分で決めることになり。

 

 

自分の人生で起きる責任が全部自分になってしまうし、

 

間違えてしまった時

自分が決めたことの渦中の人には

「お前が間違えた、お前のせいだ」

って思われるし、言われるかもしれない。

 

 

 

その恐怖と

自分で自分を責めているだけの恐怖は

どっちの方が怖い?

 

って聞いたら

 

 

人から言われる方がはるかに怖いだろう。

 

 

 

 

 

 

だから本音は

 

「自分で自分を責めて、自己評価をとことん下げておくと何もしなくて済むのでこれが一番安全なんですーーーーー!けど、これを自覚してしまったら、もう使えなくなるので、、、これには気づけませんーーー!!なので、自分攻めやめたいですーーーって言いますーー」

 

っていう。笑。

 

 

 

 

 

人から

 

「お前が間違えた、お前のせいだ」

 

って責められるのが

めちゃくちゃ怖いのは。

 

 

そんなもん。

 

 

 

 

母親からめちゃくちゃ責められてきたからだろう。

 

 

 

 

 

ここで母親問題に

辿り着くんよね。

 

 

 

 

母親はあなたが生まれたことで、めちゃくちゃ喜んだわけじゃなく。

 

私は生まれてきてよかったのかいまだにわからない。だって、産んだ人すら、私が生まれたことを喜んでいないのだから。

 

 

 

 

生きてることを賞賛されてない。

 

 

 

 

生きてることを

責められている。

 

生きてることを許されてない。

 

 

 

 

 

そんな私が

肉親にすら許されてない私が

 

 

他人に許されるわけない。

 

 

私が失敗したら許されるわけない。

だから私は何もしたくない。

そのために

 

 

 

 

 

私は私を責める。それが一番安心だから。

 

 

 

 

 

子供の怪我も私のせい。

 

 

 

 

 

私は私を責める。それが一番安心だから。

 

 

だから

母親と向き合うことで。

 

 

母親を

私が生まれて嬉しくないのではなく

 

子供に笑顔を向けることができないほど

 

追い詰められていたのだ。

 

 

理解していくしない。

 

 

 

 

 

 

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ナリ心理学ブログ2 管理人 すずみり