ナリ心理学ブログ2

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保存版■お金を稼ぐメンタルブロック壊す

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実は僕も少し、

「お金を稼ぐメンタルブロック」みたいのがありました。それは「罪悪感」というブロックなんですが、

 

 

例えば。

 

 

・年功序列は終わった。
会社に勤めてるだけで給料が毎年上がっていくことなんてない(もしくは少ない)

 

・終身雇用は終わった。


一つの会社に勤めて定年まで働くことなんてこれからはまずあり得ない。

 

・社会の経済的二極化はどんどん進み。


年収300万円以下の人が増え、年収1000万円以上の人も増え、その対比は9対1になる。
持ってる人も持ってない人にわかれる。

 

・収入額と読書量は比例していて、高収入者ほど本を読み、低収入者ほど本を読まない。そして、日本人の75%は月に3冊も本を読まない。

 

etc....

 


などなど、上げたらきりがないくらい。

 

これからはお金を持ってる少数とお金を持ってない大多数に分かれていきますよ。

と考えられる理由が世の中にたーーくさんありますし、よく言われてます。

  

 


僕はこーゆーものを考えると一つに

『これからの時代は自分の力でお金を稼ぐ必要がある、だからそんな自分になれるように行動しよう』

と思えるのですが、

 

もう一つに

【自分だけ、お金を稼いでも世の中の大多数の人たちはそうはなれない、、
自分だけよければいいのだろうか?(´-`)、、、】

 

とも思ってしまうタイプなんです。これが僕のお金を稼ぐメンタルブロックなんですが、

 

 

今日、あるお金に関する記事をネットで見つけて、「うわぉ!これは面白い!」ってことで、その内容をシェアしたいと思います。ちょいな。

 

 

 

 


(以下引用)
__________

 

 

 

■質問

 

お金を儲ける事に遠慮してしまいます。


自分でもおかしいと思っているのですが、自分が得をすればどこかの誰かが損をしているのではないかと考えてしまいます。

 

こういう考え方をなんとか払拭できないものでしょうか。

 

個人的に仕事で稼げるチャンスがあったのですが上記の理由によりフイにしてしまい、同僚からも馬鹿にされる始末です。

 

欲がないというか金銭的に裕福になる事に怖さも感じます。(これは自分でもよく理解できない感情です)

 

必要最低限の収入があればよしと思っているのですが、そうは言っても自分から稼ぐチャンスを避けるのは異常だと気付きました。

 

具体的に言いますと、お金は無限に沸いてくるものではないから、自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になるのではないかと思い躊躇してしまいます。

 

こんな考え方を改めるためにアドバイスを下さい、お願いします。

 

 

 


 

 


■ベストアンサー

 

富という物は、増える物なのだよ。そのメカニズムを説明いたしましょう。

 

たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。


そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。

 

最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。
B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。

 

その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。

 

この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家)

 

次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。

 

その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。


B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家が2軒)

 

こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。
(つまり世界全体の富の合計金額が増えていった)

 

やがて、二人は良い考えを思いついた。


お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。

(10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ)

 

その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。

 

以上です。設定にやや無理がありますが、原理は真実です。


世の中の各人が「お金が欲しい!」と思い、お互いに努力し、生産し、サービスを提供し、つまりは経済活動をすればするほど、世の中全体の価値ある品物・価値あるサービス・財産、つまり富は増えていくのです。

 

要するに、あなたがお金を儲ければ儲けるほど、世の中全体も豊かになっていくのです。

 

あなたがお金を儲けたということは、それに相当するだけの価値を誰かに提供したと言うことでしょう? つまり「A君に作ってあげた家」を創造したと言うことでしょう?

 

あなたは儲ければならない。


なぜならば、それが世の中全体を豊かにすることに直結しているのだから。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(引用終了)

 

 

 

 

 

 

「何かを生み出す」という行為が、世界を豊かにする。武豊は騎手。

 


僕が持ってたお金のメンタルブロックを完全になくしてくれたわけではないが、この記事を読んでだいぶ心が楽になりました。

 

お金を稼いでみてください。「世界」と「あなた」が豊かになりますから。

 

お金を稼がなくてもいいです。何かを生み出せるのであれば世界は豊かになります。

 

 

 

 

 

 

 

 


質問

 

ナリさん、こんにちは( ´ ▽ ` )ノ


何回か過去に感想を送らせていただいた○○と申します!

 

いつもお世話になっております。

 

今回の富が増えていく話は自分も新しい発見があって、とても勉強になりました!

ありがとうございます。

 

ただ今回の話で疑問に思ったことが、
この話ではモノを生産することで
富が増えていくということですが、

 

モノではなくコンサルやビジネス情報の提供の場合はどうなるんでしょうか?

 

家が1万円の価値として、目に見えるものとして、存在することで価値は
増えていくのだと思います。

 

が、

 

情報は目に見えないので、情報のやりとりを一万円で繰り返したところで富が増えていくようには僕には思えないんです(^^;;

 

この辺りのご説明をいただければ幸いです…

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 


 

 


回答

 

目に見える物には価値があることはわかるが、目に見えない物に価値があるようには見えない。ってところですね( ̄▽ ̄)

 

 

 

例えば、


■一つこんな例はどうでしょう。

 

 


世界にはA君とB君しかいなくて、A君が1万円札を持っていた。

 


B君はそれが欲しかったのでA君のために「槍(やり)」を作ってあげた。

 


この世界には二人しかいないが、猛獣はそこら中にいるので、身を守るための武器として「槍(やり)」を作って、A君に売ってあげた。

 


A君はこれで猛獣が襲って来ても「槍(やり)」で倒すことができるので安心して暮らせるようになりました。

 


その結果


A君は1万円の価値がある「槍(やり)」を、B君は1万円札を持ち。この世界の富の合計は2万円になりました。

 

 


では一度話しは槍を作るまえに戻ります。

 

 


世界にはA君とB君しかいなくて、A君が1万円札を持っていた。

 


B君はそれが欲しかったのでA君のために「猛獣を倒すための武術」を考えました。

 


この世界には二人しかいないが、猛獣はそこら中にいるので、身を守るための方法として「猛獣を倒すための武術」を考えまとめて、A君に教えてあげた。

 


A君はこれで猛獣が襲ってきても、倒すことのできる武術を使えるので、安心して暮らせるようになりました。

 

 


こんな感じですかね( ̄▽ ̄)

 

 

 

まずは1つめは、

 

1、人が欲しているものは「物質」ではなく「結果(機能)」だということです。

 


A君は「家」が欲しいから「家」を買ったのですが、すこし踏み込んで考えてみると、

「家」という「物質」ではなく、その先にある「結果(機能)」が大切なのです。

 


「家」の機能は
・雨風をしのげる
・夜安心して眠れる
・猛獣からも襲われない
etc...

 

つまり「家」が持ってるこの「結果(機能)」が備わっていれば、別に「家じゃなくいい」のです。

 

 

それが「槍(やり)」と「武術」の場合だとわかりやすいです。

 


A君が手に入れたいのは「猛獣から身を守れる武器」ではなく、

【猛獣から身を守れること】そのものです。

 

 

だから、槍という物質でも、武術という方法でも目的さえ達成されるのであれば同じです。

 

 

目に見える槍と
目に見えない武術とが

同じ価値になるわけです。

 

 

つまり
目に見えるモノだけではなく、

「情報」や「やり方」「ノウハウ」「テクニック」などの目に見えないものでも。

 

得られる結果が同じであれば価値があることになります。

 


そして、その価値は目には見えない形でその人の中で積み重なっていきます。


(ここ重要)

 

 

 

むしろ、「槍(やり)」や「家」のように目に見えるもの(物質)は『壊れる』可能性を含んでいますから、

価値としては時間の経過で下がっていきます。

 

(1万円で買った家は10年後は5000円の価値しかないかもしれない)

 

 

逆に目に見えない価値は、時間の経過と共に価値を増やしていく可能性があります。

 

猛獣を何度も倒せば上手くなりますからね。

 

 

 

、、

 

 

 


、、

 

 

 

といった感じの回答でいかがでしょうか?( ̄▽ ̄)

まー、深い話なのでまだまだ言えることはたくさんあるんですが。

 

 

ってことで、
すこし補足でまた違った角度の話をしてみましょう( ̄^ ̄)ゞ

 

 

 


■こんな例はどうでしょうか。

 

世界にはA君とB君しかいなくて、A君が1万円札を持っていた。

 


B君は1万円札が欲しかったのでA君のために「とても素敵な絵」を描いてあげました。それを1万円でA君に売ってあげました。

 


その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに「とても素敵な絵」が残った。

 


この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の絵)

 

 


次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために「とても素敵な小説」を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。

 


その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。

 


B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに「とても素敵な小説」を手に入れた。


この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。

 

(1万円札+1万円相当「とても素敵な絵」+1万円相当の「とても素敵な小説」)

 

 


、、

 

 

、、

 

 

ここで話したかったことは、

 

先ほどの「槍」や「武術」や「家」のように【機能】がないものでも価値があるよ。ということです。

 


絵を持っていても、
小説を持っていても、

猛獣を倒し身を守れるわけでも、
雨風を凌たり、安心した眠ることもできません。

 


では、
何を期待してA君とB君は1万円を支払い絵を買い、小説を買ったのでしょう?

 


それは
心、感情、【気持ち】ですよね。

 

・楽しい
・ワクワク
・癒される
・面白い
・驚き
etc...

 

などの気持ちです。

 

 

目に見えないものです。

 

 

これに価値があるから、

 

お笑い芸人、ミュージシャン、画家、アーティスト、スポーツ選手、作家、映画監督、俳優、漫画家、美容師、etc..

などのはっきり言ってしまえば、

 


『いなくても困らない人たち』が、『人間が生きてくために必要のない人たち』が、お金を稼ぎ暮らしていられます。

 

 

面白くなってきたのでwもっと踏み込んで話してみます。

 

 

 

 


■こんな例もあります。

 

世界にはA君とB君しかいなくて、A君が1万円札を持っていた。

 


B君は1万円札が欲しかったのでA君のために「面白い漫才」を作りそれを見せて笑かせてあげました。その代価としてA君から1万円を支払ってもらいました。

 


その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに「思い出」が残った。

 


【とても楽しい時間を過ごした思い出】が残った。

 


この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の「思い出」)

 

こーゆー考え方もあるんですね。(ただ思い出は富として換算するのが難しいですがw)

 


まさにディズニーランドとかUSJとかはまさにこれでしょうね^ ^

 

「楽しい時間」と「楽しかった思い出」

これに対して僕らはお金を払います。

 

 

 

 

■まとめると。

 

大きく分けると2つ

「目に見えるモノ」
「目に見えないモノ」

 

そしてもっと掘り下げると

「結果(機能)」
「気持ち」
「思い出」

 

などに人は価値を感じ、

 

そしてそれらは、
目に見えようが、目に見えなかろうが積み重なって増えていく。

 

※目に見えないモノが積み重なっていく感覚はすこし理解するのが難しいかもしれません。

 


そして、
世の中には「ダイアモンド」みたいに、

全く意味がないのにwメチャクチャ価値があるものもありますね。

 

「希少」だから。

 

それだけの理由でしょう。

 

そしてすこし「キレイ」だから。

 

はっきりいって


ダイアモンドよりキレイなもので、ダイアモンドより価値がないものってメチャクチャあります。

 

「希少」ただそれだけで価値を持つんですから面白いですよね

 


(だってダイアモンドって全く無意味ですよ。全く無意味。)

 

 

 

 

 

 


無意味な物に意味を見出せることが人間の強みの一つだと思います。

 

 

 

 

 

 

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