■大丈夫です。信じてあげてください。
自分が「不安」だと思っていることのほどんどが2つの結論に落ち着きます。笑えるくらい結局この2つに行き着きます。
まず一つ目が【そんなことは起きなかった】です(^_^;)w
不安のそのほどんどがまず「起きません」自分の人生振り返ってみたらわかりますよ。、。結局ほとんど「起きてない」んだから。
つまりこれから思う「不安」もそのほとんどが「起きない」で過ぎ去って行くのです。今、丁度悩んでる人からしたら「無責任」に聞こえるでしょうけど。、。、まぁ、このブログ読んでるくらい精神的に余裕があるなら大丈夫でしょね。
たぶん、どーせ「起きません」ね(^_^;)w
で二つ目が起きても【どーせ、大丈夫】です。
もしかしたらあなたの予想通り実際に起きてしまうかもしれない、けど「どーせ、大丈夫」です。
たぶん今までもずっと大丈夫だったでしょう、大丈夫じゃなかったら、このブログを読んでないと思います。だってもう死んでるでしょうから、このブログ読めてる時点で今までずっと大丈夫だったってことなんでしょうね(^^ゞ
今のあなたの「不安」はたぶんこの二つのどちらかに落ち着くでしょうね。
・そんなことそもそも起きない
・起きたとしても大丈夫
もしこのブログ読んで「そんなわけねーだろ!!」って思ったらたぶん「不安に思っていることで自分は得してる」んだと思いますよ。
たとえば、人に気を引けたり、みんなが慰めてくれたり、悲劇のヒロイン気取れたり、不安って言っておけば勇気だして行動しなくてもいいとか、なにかしら「得してる」から、それを手放せない。たぶん無自覚的になので本人はわからないかもしれないけどね。
どーせ、自分の不安なんて起きないし、起きたとしても大丈夫だし、もし大丈夫じゃなくても大丈夫だし。大丈夫じゃん。
唯一、大丈夫じゃないことがあるとすれば「大丈夫じゃないことが起きてしまった」と自分が思うことだけです。これを僕は「スネる」って呼んでます。
大丈夫なことが起きただけなのに「これは大丈夫じゃない」と思い込んで、もー無理だ、と開き直って諦めることです。
これは唯一、大丈夫じゃない(いや、ホントは大丈夫だけど)本人が大丈夫じゃないって信じて疑わないから、それはもう大丈夫じゃないことになる(ホントは大丈夫だけど)
大丈夫なくせに、「大丈夫じゃない」って本人が思ってしまったらホントは大丈夫なのに大丈夫じゃなくなってしまう。滝川クリステル的に言えば「も・っ・た・い・な・い」だ。
ホントは大丈夫なのに、本人がなぜそれを信じてしまったのかわからないけど「大丈夫じゃない」を信じてしまったら、もう「大丈夫じゃない」になってします。ホントは大丈夫なのに。ホントは大丈夫なのにね。
想像して欲しい。
あなたの人生で大丈夫じゃなさそうなことが起きたとします。、、、、でも大丈夫じゃない??
最悪の出来事が起きたとします。
例えば
「自分の子供が亡くなってしまった。」
僕はまだ子供はいませんが、想像しただけで人生における最悪中の最悪の出来事なことだと分かります。もし自分が大切に育ててきた、世界で一番大事な子供が何かしらの理由で亡くなってしまったとします。考えただけで、僕ですら少し辛い。
もし実際にお子さんがいらっしゃる方なら、想像すらしたくないと思います。けど一応言っておくとただの仮の話なので。
もし自分の子供が亡くなってしまったとします。
辛いでしょう。
ほんとに辛いでしょう。
なにもかもが失われた気がしてしまうでしょう。
泣いても泣いても泣きたりないかもしれません。
もう立ち直れないと思ってしまうかもしれません。
いっそのこと自分も消えてしまいたいとおもうかもしれません。
考えうる限り最悪の状況です。
なんで自分にだけこんなことが起きてしまったのだろうと、
なぜ自分なのだろうと、、
誰かのせいにして攻めたいでしょう、、
すべてを諦めて、すべてを投げ捨てて、なにもかも終わりにしたいとおもうかもしれません。
、、
、、
、、
それでも。
それでも、
あなたは大丈夫なんです、
ほんとに辛くて辛くて辛くて、悲しくて悲しくて悲しくて、何かが憎くて憎くて憎くて、全てを終わりにしてしまいたくても、、、
あなたは、
あなたはまだ大丈夫なんです。きっと、あなたはまだ大丈夫なんです。すべてを失くした悲しみのなかでも、きっとあなたは大丈夫なんです。
正直まだ僕もそんなに深い悲しみに出会ったことはないです、でも大丈夫なんです。
もし仮にね、
子供の後を追って自分も人生を終わらせることにしたとしても、したとしても、大丈夫なんです。もし仮に本当に終わらせたとしても大丈夫なんです。誰もあなたを責めません。あなたはそれでも大丈夫だったんです。
すべて大丈夫なんです。だから安心してほしい、すべて大丈夫なんだと。「死んだとしても大丈夫」って感覚は理解し難いかもしれないけど「死んだら終わり」って考え方に僕のほうが理解し難い、全然終わってないけどって思う。全然まだ続いてる、繋がってる。
つい先日、
今日みたいな内容をTwitterでつぶやいたら「母親が病気です。大丈夫だなんて思えません」って返信が返ってきました。お母さんが病気なことは気の毒だと思います、でもあなたが大丈夫じゃないって騒いだら、もっとお母さんは辛くなるでしょう、病気になってしまったことを受け入れる辛さはあります。けどね、結果お母さんがどうなったとしても、あなたのすることは受け入れて愛してあげることじゃないかな。と思うんです。
大丈夫じゃないんだ、って思ってしまう気持ちは僕も十分分かります。けど、。大丈夫じゃないんだ!大変なんだ!辛いんだ!困ってるんだ!不安なんだ!って騒いでるよりも、もっとやることがある気がするんですよね。
確かにまだ僕は母親が亡くなったり、子供が亡くなったりしたことがないから、そんなこと言ってられるんだ!なんて言われるかもしれない。
けど、わかってもらえてると思うけど僕は「死を悲しむな!」って言ってるわけじゃないです。死は悲しむべきことだと思います。ただ悲しみに飲み込まれるなって言ってるんです。飲み込まれたくなる気持ちもわかるけど、飲み込まれないあなたを信じたいなと思ってるんです。
何かが終わってしまったら終わってしまったで、、また新しく出来ることが生まれると思うのです。悲しみに飲み込まれるよりも、母親との貴重な時間を大切に、愛があふれる時間にすることも出来るはずです。亡くなってしまった子供を思って愛を体現して生きていくことも出来ると思うんです。それを信じたいなと思っています。僕自身にもそう信じていたいのです。
なにがあっても大丈夫なのだと、僕は必ず大丈夫なのだと。
そう信じれるし、そうできるはずです、きっと。